体験談
Experience report

中山 成史

エストニアでの留学生活。たった10か月でしたが、自分にとってかけがえのない時間となりました。現地到着後から1週間ほど続いたYFUオリエンテーションで、他の国から来た留学生の英語力やコミュニケーション能力に圧倒され、疲れ切った僕の留学生活の始まりは自慢できるものではないし、そのときの僕には、10か月後にエストニアの空港でホストファミリーや友達と涙を流しながら別れを惜しんでいる姿など想像すらしていませんでした。しかしながら、建築会社で働いているホストファザー、銀行で働いているホストマザー、F1ドライバーを目指している13歳のホストブラザー、ドイツに留学中だった17歳のホストブラザー、僕のホストファミリーはみんな忙しく仕事や趣味に打ち込んでいたため、ホストマザーは僕にも「やりたいことは何でもやってね。サポートはするから!」と最初に言ってくれました。そのおかげもあり、僕は留学中に様々なことに挑戦し、結果としてそのおかげで楽しく充実した留学生活を送ることができました。以下、その一部を紹介させていただこうと思います。
エストニア語
「エストニア語で会話できた方が友達をつくりやすそう」という単純な理由で勉強し始めたエストニア語でしたが、家では参考書、登下校中はアプリ、学校では友達にエストニア語を教えてもらうなど、とにかく一生懸命に勉強しました。実際そのおかげで仲良くなれた友達も沢山いますし、友達がエストニア語で会話している輪の中に入れたときには、何とも言えない達成感を得たのを覚えています。また、ほかの国から来た留学生とも、エストニア語という共通の話題をもとに仲良くなれることが沢山ありました。
ピアノを習った
「ピアノを弾ける」ということは日本では決して珍しいことではありませんが、エストニアではピアノを弾ける人が珍しいこともあり、運よくエストニアの国立の音大でピアノを習うことができました。エストニアは長い間ソ連の支配下に置かれていたこ ともあり、ピアノの指導方法も「ソ連式」で、鍵盤に手を置く方法、肩の力の入れ方、ペダルの踏み方など、ソ連式の方法はすべてが僕にとって新鮮で、刺激的なものでした。
建築事務所でのお手伝い
日本では学校の建築学科で学んでいましたが、留学中に運よく現地の建築家の方と出会うことができたため、エストニアでも建築を学び続けることができました。その方の事務所では、エストニアの建築制度や建築の歴史、ソ連時代の影響などの社会的な部分から、その方の建築に関する考え方やデザインの方法などの哲学的な部分にいたるまで、様々なことを学ぶことができました。また、大学の建築学科も見学させてもらい、日本の建築学科との大きな違いに驚きました。
誕生日パーティー
エストニアには、自分の誕生日パーティーは自分で開くという文化があり、僕自身も友達の誕生日パーティーに何度も誘われたことがあったため、「僕も誕生日パーティーを開きたい」という思いは当然ありましたが、実際に「自分で自分の誕生日パーティーを計画し、そのために友達を誘う」ということはハードルが高く、何度もためらっていました。しかし、ホストマザーが「やりたいならやるべきよ」と背中を押してくれたこともあり、思い切って友達に声をかけてみると、どの友達も喜んでパーティーに参加してくれて本当に嬉しかったです。みんなでお寿司を作ったり、夜遅くまで映画を見たりゲームをしたりして盛り上がってくれたおかげで、19歳の誕生日は最高の誕生日となりました。

まだまだ書ききれないくらい僕の留学生活は沢山の思い出であふれています。このような楽しく充実した留学生活を送れたのは、支えてくれた沢山の方々がいたからだということはもちろんですが、「何にでもとりあえずYESと言い続けた」ことも大きいと思います。
これから留学へ行く皆さん、留学中は、慣れない文化、慣れない言語、新しい家族や友達など、不安になってしまう要素はいくらでもありますが、そんな環境でも勇気を持って一歩を踏み出し続けみてください。きっと楽しい留学生活になると思います。