コラム
Column

2018.03.12 Mon

【第3週】遠い国での1年間 – 僕のドイツ交換留学

バンクナンバー

【第1週】はじめに/きっかけと行き先の決定/準備
【第2週】OSK/Magdeburg

6.学校

9月、学校正門前で
 僕の通った学校は、Domgymnasium(“Dom” + 中高一貫で大学進学を目指す学校”Gymnasium”、ドムギュムナジウム)という名称で、その名の通りDomとの関わりのあるとても古い学校でした。古いというのは100年どころじゃありません。日本の感覚からすると信じがたいくらいですが、名前は変わりながらも10世紀からあるというのです。僕は日本の高校1年に当たる10年生のクラスに入りました。この学校は私立でしたが、ドイツに行くYFU留学生の大半は基本的に公立の学校に通学します。僕のとっていた授業は国語(ドイツ語)、英語、数学、情報、物理、化学、生物、歴史、経済、音楽、体育、そして宗教の12教科でした。ちなみに10年生の歴史の授業内容は戦後史でした。クラスは20人程度で、東京では考えられませんが、僕を含めて24人になった10dのクラスは担任の先生曰く「特例的にとても多い」ということでした。
 最初は授業には非常に苦労しました。焦ってはならないと自分に言い聞かせながらも、初日の内心は絶望的でした。でも、段々、少しずつわかってきました。まずは物理の扱っている範囲がわかってきて、インターネットで日本語のサイトを見つけ、その範囲を自習しました。そんなふうにして少しずつ何をしなければならないのか落ち着いて見えてきてしまえば、もう状況は絶望的ではありません。やれることからやっていくだけです。だから、自信を失わず焦らないよう、自分に言い聞かせることは大切だと学びました。ですからパニックになってはいけませんが、逆に「絶対にわからない」と諦めてしまうこともとてももったいないと思います。
 ドイツ語の授業は留学生にとって当然難しいのですが、実技だろうと思って選択した音楽の授業(実技ならできるという訳でもありませんでしたが)が実は音楽史の授業だとわかった時には驚きました。最初の授業では必死になってプリントのほとんど全単語を電子辞書で検索しましたが、日本語でも知っているのは「ピタゴラス」の固有名詞だけ。わけがわかりませんでした。本当に。このふたつの授業は最後まで難しく感じるままでしたが、宗教の授業などは思いのほか理解できるようになって、興味深く受けていました。また経済、音楽、宗教、歴史の時間では一度ずつプレゼンをする機会があって、しっかり準備して臨めたため、いい評価をもらうことができました。特に音楽史の時間のプレゼンでは(少なからず甘い採点だったのでしょうが)6つの評価基準のどれも最高得点をもらうことができ、励みと自信になりました。
 ラテン語やロシア語などの第2・3外国語(僕からすれば第3・4外国語)の授業は、ホストファミリーに止められて結局は受けませんでしたが、試験に関しては、受けられる限り全て他の生徒と同様に受けました。自分の理解度とドイツ語で相手に書いて伝える力を試験で試したいと思ったからです。僕は理数系が特別得意なわけではありませんが、やはり数学が最も点数を取れた教科でした。それでも1年の最後の頃には、歴史や経済や宗教の試験でも、(かなり)不真面目なドイツ人とは同じくらいの点数をもらえるようになりました。しかし恥ずかしながら、1年間で最後まで読みきったドイツ語の本は授業で扱ったスイス人戯曲作家デュレンマットの”Romulus der Große(ロムルス大帝)”だけでした。その次に扱ったシュリンクの”Der Vorleser(朗読者)”も途中までは読みましたが…
小学校5年生から高校3年生まで計700人近いと思う とあまり広くはなかった。街の中心部にある
 Domgymnasiumは市内で最も良いと言われる学校でしたが、実際に1年間授業を受けていると、教員不足の問題でしょうか、呆れるような授業もなかにはありました。しょっちゅう授業変更があり、なかには2時間しか授業がなくなってしまったりとか、丸一日休みになってしまったりとか、そんなこともありました。僕にしてみれば全く困らないですし、休みになれば他の生徒も当然喜ぶのですが、彼らの1・2年後の近い将来のことを考えれば全くもってよろしくないはずです。ドイツでGymnasiumを卒業して大学に進学するためには、Abitur(アビトゥーア)という高校卒業試験を受ける必要があります。また、Abiturの点数だけでなく11・12年生の学校成績も全て大学進学に影響してくるのです。日本と違って塾という仕組みはありません。ですから、広い意味でのAbiturが始まる前の最後の1年間が休講ばかりでは困るはずです。
 また、少し話がそれますが、成績をつけるのは各担当の先生ですから、何か反対するようなことを口にすれば大学進学に影響しかねない、ということになります。Mathilde がこの制度自体への強い疑問を話してくれたことがありました。さらに根本的な問題は州ごとに別々の学校教育とAbiturが行われていながら大学には同じ基準で審査されていることで、良質な授業の行われる州からAbiturの簡単な州に引っ越すような人もいると聞きました。しかし、Abiturで卒業資格をもらった後(正確な数字を忘れましたが)かなり多くの人が、すぐに大学や専門学校に行くのではなく半年ないし1年間くらい、外国に行くなどして何か別のことをする制度については、羨ましく思います。昔の徴兵制とその代わりのボランティア活動が土台になっているのだと思います。例えばオーストラリアやニュージーランドに行って”Work and Travel”をしてきたり、国内で障害のある子どもの面倒をみるボランティアをしたり、あるいはアフリカに行ってボランティアをしたりという感じです。アフリカでのボランティアについてはJICAのような技術的支援ができるわけではない高校卒業生が大量に参加するため、ビジネスとなってしまい問題が起こっているそうで、”Mal kurz die Welt retten(ちょっくら世界を救ってくるぜ)”という皮肉に満ちた新聞の見出しを見たこともあります。ですから難しいのですが、猛烈な勉強から少し身を置いて進路を考える時間を取れるというのは、僕にとっては羨ましく思えるわけです。ところで、事情がかなり違いますが、Jörg などは生物学を勉強するために軍隊に入るしかなかったため、4年間東独の軍に所属していたと言っていました。とても優秀なのに教会に通っていることを明言したがために高校を辞めさせられた同級生さえいたといい、そうならないために、ということです。たった半世紀前のことなのに、なんて世の中だったのかと驚きます。
話を戻しますと、休講が多い他にも、ドイツでは珍しい私立の「名門」学校だからなのでしょうが、裕福な生徒が多いのも特徴的でした。特に驚いたのは他の生徒の通学方法です。僕のホストファミリーは子供に自転車通学をさせていましたが、半数ほどの生徒が親の車で毎朝毎晩送り迎えされていたのです。それも、ほぼ全てベンツかBMWなどの高級車。中には高校卒業までの12年間たったの一度も自動車以外の通学をしたことがない、という生徒もいるそうです。
とはいえ、決して悪いことばかりではなく、担任の先生などとてもよくしてくださった先生もいましたし、素晴らしい友達が何人もできました。もちろんクラスメイトの大半がドイツ人で、その中の親しみやすい人たちと仲良くもなりましたが、僕にとってドイツで一番の友達である同級生の Amin(アミン)君は、ドイツ人ではありませんでした。

7.親友、Amin

5月、市内のマラソン大会後、一緒に 走った Amin や Helgard、見に来てく れたホストファミリーの親戚と一緒に
 Aminはアフガニスタンからやってきて、15年の冬からドイツで生活している、いわゆる「難民」の生徒でした。経済的な問題から家族はアフガニスタンに残り、たったひとりでドイツまで2ヶ月歩いてきたそうです。家族と再会することがあるのかさえわからないまま、18歳になった時から、ひとりで暮らしています。
 僕ら日本人「留学生」は、日本から11時間、音楽を聴きながら飛行機に乗ってやってきて、日本までやはり11時間、映画を観ながら帰ってきました。ホストファミリーやYFUに守ってもらえて、1年後に家族や友人と再会することがわかっていました。でも、彼はドイツで生きていこうとしている。あえて難しいGymnasiumにきて、大学進学を目指している。大学進学のためには、決して遊んでいる余裕なんてないわけです。外国人同士、お互いにドイツ語が不慣れで、同じように授業をなかなか理解できずにいて、そして同じように友達のなかった僕たちは、すぐに一緒に昼食を食べに行くようになりました。宿題やプレゼンを一緒にやったり、彼の家に遊びに行ったり僕のホストファミリーが彼を招いたり、ホストマザーと3人でハイキングに行ったりもしました。しかし、仲良くなったというだけではなくて、彼の誠実さから僕は意識や態度に大きく影響を受けました。今だってAminのことを思い出すと、「彼は今頃こうしているだろう。僕も頑張ろう」と考えます。彼の話には、学校の先生やYFUとはまた違った次元の重みがあるのです。
 お互いによく分かり合えて、勇気と力を与えてくれる仲間ができたことは、とても幸せなことでした。それにこの関係はおそらく一方的なものではなく、僕だっていつかどこかで彼を励ましていたと思うし、勇気付けていたと思います。間違いなく本当の親友と言える関係でした。

>次号へ続く(3月19日の掲載を予定しています。)

本連載はYFU第59期(2017年帰国)ドイツ派遣 佐原慈大さん が、帰国後に自身の体験を綴った体験記を纏めたものです。無許可での転載を禁止します。