体験談
Experience report

松崎 さやか

私を受け入れてくれたホストファミリーは7人家族という大きな家族でした。 一番上のホストシスターがアルゼンチンに留学ということで、私が入れ替わりで加わることになったのです。
家族が6人もいると家はとてもにぎやかでした。6人の家族や学校の友達、スポーツや音楽によって関わることになった友達が、 日本では体験することのなかった貴重な経験をプレゼントしてくれました。
特にオランダでは地域活動が盛んで、 とてもお手頃な費用で活動に参加できます。女の子でもたくさんフットボールをしています。
ほかにもテニス、アイススケート、アイスホッケー、草ホッケー、オーケストラ、ジム、マラソン、etc…
私は二種類のオーケストラと水泳を通じてたくさんの人たちと触れ合うことができました。
私は学校まで毎日自転車通学でした。周囲の変化して行く風景をのんびり見ながら自転車をこぎました。
道の両サイドに大きな並木があって、そこでは野生のリスが木から下りてくるのや、芝生の上で野うさぎが草を食べている様子が見られました。
オランダの国は地図でみると首都アムステルダムの名前がはみ出してしまうくらい小さいけれど、オランダの空は高く、木も人も人の心も大きいと私は感じました。

ファミリー全員で私のことを考えてくれました

町や学校にはそれぞれの宗教をもった様々な人種の人がいました。
ヨーロッパ系統の人からアラブ系、アフリカ系、アジア系までいたので日本人である私がいることは珍しくはありませんでした。おかげで学校、地域でやっている水泳や音楽のコミュニティにも外観上違和感なく入ることができましたが、生活していくうちにいろいろな違いがあることに気付き、驚きました。はじめはその違いを楽しんでいたのですが、だんだんとその違いに戸惑いを感じるようになりました。
特に言語には戸惑いが大きかったです。 
一番下の幼いホストブラザーと、自分が身に付けたオランダ語で話せたりすると、嬉しくてもっと話せるようになりたいと思いましたはじめは英語で「オランダ語ではこう言うのだよ、こう発音するのだよ。」と楽しみながら発音や簡単なオランダ語を教えてもらったりしていました。けれど3ヶ月ほど経った頃には、生活やオランダ語への多少の慣れから到着した当時のようには接してもらえず、カルチャーショックとなり、冬が来て気温も下がり、家族や友達が何を話しているのかという不安が3重に辛く感じられて落ち込みました。
その時は全員がそろって食べる夕食がつらく感じました。言わなければ伝わらない。そう思って、ある日、ホストマザーに不安を打ち明けるとファミリー全員で私のことを考えてくれました。
まるで自分のことのように考えてくれて、「あぁオランダの私の家族なのだな」と実感しました。それから私は彼らと本当の家族のように接することができたし、気持ちを言葉にすることの大切さ、彼らの温かさを知ることができました。

家族の一員になれたことをとても幸せに思う

日本では、学校でなにか出来事があったら帰って家族に話します。
オランダでも、学校や外でいいこと、不思議なこと、色々な出来事を家族に話します。私もしました。
話したいと思うようになりました。彼らとの交流が増えるにつれて1日1日が楽しくなり、その10ヵ月がとても貴重な時間になったことを帰国する頃になって強く感じるようになりました。帰国する時にホストファミリーと泣きながらハグをして別れを惜しみ、オランダの家族と別れなければならないというつらさと、帰国して日本の家族に会って多くのことを語れる喜びとでいっぱいでした。私は彼らの家族の一員になれたことをとても幸せに思うし、感謝しています。